Dr.貴則ブログ
ウルトラマラソン完走(柴又100K)
6/5日曜日、今年の目標でもあったウルトラマラソンに初挑戦いたしました。
記録としては、まあまあといったところだと思いますが、大会のキャッチコピー『日帰りで体験できる未知との遭遇』と言う通り、とても極限で貴重な体験をしました。
備忘録を兼ねてブログにしたためたいと思います。
大会参加へのきっかけ:知人が友人から参加の誘いを受けた話を聞き「じゃあ、自分も参加しようかな?」とフルマラソンをまだ走っていない昨年の年末に参加申し込み完了。
大会への準備:1月末の館山若潮マラソン(初フル)で違和感が残った右足首を放置して練習していたところ、3月末には歩くだけでも足裏がビリビリ痛くなる。整骨院(町田スポーツマッサージ)にて2週間安静を勧められる。リハビリしつつ(4/17ハーフマラソンは6分/キロで無理せず調整)5/4筑波8耐参加、徐々に練習のペースを戻す。が、5/14右膝ランナーズニー発症。ZAMUST RK-1装着しながら10kmを週4回+ストレッチ&体幹。大会1週間前からはレース中の左膝故障を恐れEK-1を両膝に装着を試みる。緊張のせいか足に腱鞘炎や膝裏や脛など日毎に違う部位の痛みが起きる(今考えると右膝の裏と左足親指付け根の痛みは本当だった)。
大会当日:知人宅からスタート地点まで送迎してもらう。時折強くなる雨脚にレインコート着用したままで走るか悩む。朝食&アミノバリューを摂取、10分前にトイレを済ませスタート地点に並ぶ。周りのランナーが物凄く熟練して見え気後れ&緊張したままスタート!写真からもかなり緊張が見える・・・(写真中央)。
スタート〜50km:ここまではかなり快調。雨でずぶ濡れになりながらも当初の予定(6分/キロ)よりも速い5.5分/キロで走る。心拍数と鼻呼吸で無理なく走れていたためだが、練習不足が祟り45km付近で突如 両足の大腿四頭筋(太もも)が悲鳴をあげる。足が止まりペースも一気に7分/キロに落ちる。天気も早朝の雨から一転、晴れ間が続き始める。残りの距離を考えるとかなり精神的にきつかった。50kmの折り返しのエイドまで、曲がり道や細かいアップダウンが多く、エイドが見えるところで迂回させられたり・・・距離以上に長く辛く感じた。
※まだまだ快調!でした・・・
折り返し50kmエイドステーション:とにかく気分を変えるために、スタッフの方とお話をしたり補給食のスイカやおうどんを頂く。実際にはうどんは小盛りも半分しか喉を通らず、持ち込んでいた補給食を「うどんを食べてる」とイメージしながら2~3本流し込む。その後、多少の体力回復&リフレッシュのため15分ほど横になる。気分を変えるためにドロップバック(中間地点まで持っていって貰える袋)に入れてあったシャツを着替える。 さあ 帰ろう。
※ぐったり。
50km~75km:特に60kmまでとにかく辛かった。序盤のペースを悔やみながら、照りつける日差しの中、痛む太もも、どこもかしこも攣りそうな全ての両脚筋肉・・・完走できないんじゃないの?という思考を打ち消そうと「前に進んでいればゴールに近づいていく」と自分に言い聞かす。そんな時、知人の友人(誘っていただいた人)と偶然遭遇し経験豊富な友人ですら疲れている様子を見て、失礼ながらホッとする。脚はボロボロでも心拍数と鼻呼吸が崩れていない事を思い出し「足の筋肉をマネージメントできれば完走できる!」と前向きな思考が復活。少しづつペースを上げてみる。が、脚が痙攣するため様子見ながら・・・。遠くにスカイツリーが見えた時は嬉しかった・・・。走っていて驚いたのは気がついたら自分が左に逸れて走ってしまう現象、痙攣したまま走っていたので気づかないうちに左脚が横に向いていました。戻そうにも戻せず恐ろしかった。汗 土手に落ちなくて良かった。笑
※左:カメラに気づいていない 右:カメラに気づき無理な笑顔
75km付近:スペシャルバックを受け取る。中に入れていたアミノバリューパーフェクトやスポーツようかんを摂取。家族の応援メッセージを見て力が湧く。知人が脚を痛めて走行困難との連絡を受けるが何もできない・・・。その後はエイドごとに知人の状況を携帯で確認する。
※元気100倍なアンパンマンがたくさん。笑
75km~90km:残りは練習でも走ってた距離だから大丈夫と言い聞かす。何キロ走ったか考えると脚が止まりそうなので、できる限り考えないように・・・。エイドでは必ず何か食べてオレンジジュースやコーラなども飲んで気を紛らわす。とにかく動かない脚と、なかなか減らない残りの距離にフラストレーションが溜まる。が、ペースが遅いせいか頭はクリアな状態。子供たちが95km地点で応援していると聞き活力が湧く。気温が下がり始めたためアームカバーを装着。
90km~95km:残り10kmを切り、思わずホッとする。ペースが保ちづらくなるが我慢。とにかく早く解放されたい一心。
95km:子供達が応援していると聞いていたので、90km付近から沿道にいる年恰好が似た子供達に目が行き一喜一憂する。見た事のあるT-シャツを着た子を見つけ手を振ると「トトだ〜っ!!」と息子&娘の声、そこから300mほど息子と並走。簡単に抜かれるも全く追いつけず苦笑。今考えると唯一50kmから痛みを忘れた時間だった。身体が軽く感じたところで時計を見ると、何とか12時間以内で着けそうだ。スパートをかけ始める。
95km~ゴール:最後の最後で砂利道は閉口したが知っていたので、とにかく走る!最後の舗装路からスロープを下ってゴールまでは沿道の人々とハイタッチをしながら進む、達成感と喜びと早く解放されたい気持ちが混ざり合う。ゴールの瞬間やりとげた達成感が全身を駆け巡る。そして、笑顔と裏腹に心から「二度と参加したくない」と思った。笑
ゴール後:知人が惜しくも80km関門でひっかかったと聞く。あれから36kmもがいた精神力に驚愕。もう参加したくないのでfinisher Tシャツなど記念を注文する。知人と合流するも、二人とも歩くのもままならず・・・。自宅まで送迎してもらうことに・・・。
翌日:朝起きると、身体が金縛り状態・・・。寝返りを打ち四つん場になるも、そこからどう立てば良いのか・・・。激痛の中何とか立ち上がり、階段を降りる。痛みで冷や汗。何とか痛み止めを飲んで動けるようになり職場へ・・・。スタッフから笑われながらも小鹿のように立ち、ペンギンのように歩く。頭と手と足先は動くので、診療には差し支えないのが幸い。
2日後:昼前から口の周りの皮膚が一気に剥ける・・・。日焼け?胃腸が荒れてるせい?足のいたるところがまだ痛いが、痛み止めは控える。
3日後:だいぶ身体が楽になる(歩ける程度)。もうちょっと練習してペース配分を考えれば、次回はもっとタイム良くなるのではないかと考え始める。喉元過ぎれば・・・とは言うが、あまりの精神の変化に驚く。
4日後:走る以外の動きはほぼ大丈夫。怪我したであろう箇所のみ痛みが引かない。
5日後:8月のフルマラソンまでに怪我をどう治して調子を合わせるか思案し始める。
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